「ソフィーの選択」という1980年代に制作されたアメリカ映画があります。名作だと思います。主役は演技派で知られるメリル・ストリープ。ここではあらすじなどには触れませんので、ネットなどで情報を調べ、関心を持たれた方はぜひサブスクやレンタルなどで映画をご覧いただければと思います。今回はその中のある象徴的な場面をひとつ、ご紹介しましょう。
第2次世界大戦当時、夫を亡くしポーランドに住んでいたソフィー(メリル・ストリープ)はドイツに占領された祖国から強制収容所であるアウシュヴィッツに列車で移送されます。幼い息子と娘を連れて。そして収容所でドイツ軍の軍医である将校から「2人の子どものうちの1人を選べ」といわれます。それは選ばれなかった子どもが収容所で処刑されることを意味していました。この「選択」には何か意味があったわけではなく、酒に酔っていた将校の狂気じみた気まぐれだったのだと思います。
当然のことながら母親であるソフィーに「死んでもよい」我が子を選ぶことはできません。半狂乱になります。しかし将校は「選ばないのなら二人とも死ぬことになる」とソフィーを脅します。ソフィーは選択しました。娘を差し出すことを。結局、娘は収容所で亡くなり、息子も子どもの収容所へ送られました。その後、ソフィーはもう子どもには会えませんでした。
名作ではありますがこの場面には胸をえぐられます。ソフィーの選択は究極の選択でした。愛した我が子たちのどちらか片方を助けるため、片方を死に追いやる。子どもを持つ親であればだれもが苦しくなる場面です。さて、みなさんは人生の中で、同じよう選択をしたことはありませんか?おそらくないですよね。
前置きが長くなりました。特別支援学校の教員として数多くの障がいや病気があるお子さんやその家族を見守ってきました。中には課題を抱え、もがき苦しむ我が子の姿に悩み「目の前からいなくなってもらいたい」とつぶやく保護者もいました。もちろん実際にそうする方はいませんでしたが。
何人かの娘や息子を持つ中に障がいがあるお子さんがいるとき、障がいのない子どもたちと同様に愛情を注げるか。逆のパターンもあります。きょうだいの中に障がいがあるお子さんがいると、そのお子さんにのみ親のエネルギーが注がれ、他のきょうだいに同様の愛情をそそげないとしたら。
その親御さんの言い分はこうです。「あなたがたはいずれ一人で生きていくことができるだろう。しかし障がいがあるこの子は誰かの助けがなければ生きていけない。だから親として一生、この子の世話をして行く」。どちらが正しいのか、どちらも正しくないのか、私にはわかりません。
障がいがあるお子さんのいわゆる「問題行動」に悩む保護者のみなさん向けの講演会や勉強会で次のようなワークショップを行うことがあります。「ある絶体絶命の場面に、あなたが救える命が10あるとする。例えば客船が沈む際、目の前に救命具が10あり、自分はそれを渡せる立場にあるなど。そんな場面で、あなたが命を救いたい身近な人の名前を10人上げてみて」。参加者は家族や親友、実の両親などの名前を挙げます。すでにこの時点で10人に満たない方が結構いて、意外に自らの交流範囲が狭いことを悟る人も出てきます。
しかし刻々と状況が変わります。何らかの事情が発生し、救える数の命が減っていくのです。救命具に不具合があり使用不可になってしまったなど。「10名の中から9名の名前を残し、1名を名簿から削ってください」と私は指示を出します。しかしここで大切なのは「名簿から削る」ということはその人はもう助からない、という意味になります。「慎重に選んでください」。
初めは和気あいあいと参加者は笑顔で取り組みます。10人の中から「夫」の名前を真っ先に削り大笑いしているお母さんたちのグループもあります。しかしその後も絶体絶命の状況はより深刻化し続け、そのたびに1名ずつ名前を削っていくことになります。楽しそうに(?)名前を削っていた保護者のみなさんから徐々に笑顔が消えていきます。
そしていよいよ自分の子どもたちの名前だけが残ります。その中には障がいがあるお子さんも含まれています。ここで私が「次の1人を選んでください」というと中には泣き出す方も現れます。みなさん、深刻な表情で名簿を見つめています。これ以上進めると心に深刻なダメージが残る可能性もあり、私はそこでワークショップを閉じます。
そして保護者のみなさんに語り掛けます。「親としてどの子どもたちにも分け隔てなく愛情を与え育んできたでしょう。だから当然、我が子の中から誰かを優先することなどできません。しかし、障がいがある我が子の名前だけは絶対に消すことができない、この子には私たちがいなければ、と一瞬でも考えませんでしたか。これからもそのお子さんはみなさんを悩ませるかもしれません。それは、無償の愛情の裏返しかもしれません。未来のために解決すべきことがあれば共に考えていきましょう」。
このワークショップを冒頭に持ってくると、お子さんの「課題」「問題行動」を見つめ直すための勉強会、研修会はとても盛り上がると同時に、参加者がみな真剣に取り組むようになります。人は目先の苦しみや悩みの解決を急ごうとするとあまり対症療法的になり、根本的な課題を見失ってしまいます。そこを見直さないと解決に結びつかないことが多いのに。冷静でないとそういう選択肢を優先してしまうことが多々あります。
ソフィーも子どもの選択を迫られ取り乱してしまいました。冷静であったら他の選択肢を考えることもできたかもしれませんが、ほかに解決先があったのかどうか…。しかし、人は人生において何度も重要な選択を迫られることがあります。どんな場面でもその深いところにある真実を見極めながら悔いの残らない選択を繰り返していけるようになりたいですね。
以上