もう20年以上も前の話です。千葉県の放課後等デイサービスの原型となった障害児放課後クラブ「あかとんぼ」を運営していた頃です。共に協力して「あかとんぼ」を立ち上げた障がいがあるお子さんの保護者(お母さんたち)数名とランチをしながらイベントの打ち合わせをしていました。子どもたちがミュージカルを演じるイベントです。これについては以前にお伝えしたので詳細は省きます。

そのとき、ミュージカルの原作となった絵本「くまのこうちょうせんせい」の原作者でありシンガーソングライターでもあるこんのひとみさんが、このイベントのために作ってくれた歌「幸せのたね」が話題に上りました。「生まれてきた子どもが幸せのたねを握りしめていた。生まれてきてくれてありがとう!」という意味の歌詞でした。障がいの有無にかかわらず、自分の子どもとして天から授けられた命、私はあなたが生まれてきたことに心から感謝しますよ、というお母さん目線のメッセージが優しいメロディに乗せられています。

 「いい歌だよね!」「感動した!」。そんな言葉があふれました。そして誰からともなくこんな問いが出ました。「もし生まれてくる前に障がいがあるとわかったら生んでた?」。私からするとかなりきわどい問いかけだなと思ったのですが、同じ立場のみなさんの中では普段からこのような話があったのかもしれません。

 「幸せのたね」の話の流れからすれば、当然みなさんは「当たり前よ!」となるのだろうな、と思ったのですが結果は違いました。「もちろん!」と答えた方、「ちょっと考えるわ…」とすぐに答えを出さなかった方、「生まなかったなあ…」とつぶやくように答えた方など、意見が3つに分かれました。

 私は顔には出さなかったものの、心の中では物凄く衝撃を受けていました。そして同時に思いました。その時でこそ障がいがある子どもたちは放課後や土曜、夏休みなどにも「あかとんぼ」に通えるようになり、お母さんたちは育児に一息ついたり家事に勤しんだり、働きに出たりすることができるようになっていましたが、それまでは苦労の連続だったのでしょう。

 まだ当時はいまよりも社会に障害理解が広まっていたとはいえず、子どもたち自身も辛い思いをしていたかもしれません。もちろん他の家族にも影響があったことでしょう。それを考えれば「生まなかったかなあ…」と答えたお母さんたちの気持ちもよく理解できます。事情を知らない人は「何を言っているんだ!」「命を軽視している!」と声高に批判するかもしれませんが、当事者になってみないとわからないことはたくさんあります。

 そしていま、「もし生まれてくる前に障がいがあるとわかったら生んでた?」という問いは現実のものとなりました。新型出生前診断です。出生前診断自体は古くから存在し、胎児がいる母体の羊水を調べ、障がいの有無の可能性を判断するものですが、この方法は流産のリスクを伴うため、実施率は限られていました。

 しかし2010年前後にアメリカで母親の血液を検査するリスクの少ない新しい方法が開発され、2013年から日本でも定着し始めました。ただ血液検査の段階では障がいの有無が確実にわかるということはなく、あくまでも可能性が指摘される程度なので、血液検査で可能性を指摘された方が確定診断を受けるためにさらに羊水検査を行うというプロセスが一般的なようです。

 新型出生前診断では主に遺伝子の変異を見極め、例えば21番目の遺伝子に変異が見られるダウン氏症候群の可能性を知ることなどができます。では新型出生前診断で「陽性」(生まれてくるお子さんに障がいがある可能性が高い)と判断された方の何%が中絶を選択するでしょう。

日本では90%以上の方が中絶を選択しているようです。私は授業で毎年、この数字について学生に「あなた方はどう見るか?」と課題を出します。特別支援学校の教員免許取得を目指す彼らのほとんどが「命は大切にしなければならない」「自分ならどのような結果が出ようと生む選択をする」と答えます。素晴らしいですね。

しかし私の正解は異なります。「当事者の立場になってみないとわからない」。こう話すと学生は一様に不満顔になります。「なぜ先生は『命を大切にしよう』と言ってくれないのか」。反面、私の答えにうなずく学生たちも少数ですがいます。障がいがあるご家族と共に育った者たちです。「きょうだい児」もいます。

もちろんすべての命が周囲から祝福を受け、笑顔の中で生まれてくるべきだと考えていますが、では障がいがある方々やそのご家族が、本当に今の社会、笑顔に囲まれて生活していると言い切れるでしょうか。それは障がいの有無に限らない話かもしれませんが、21世紀も四半世紀を過ぎてなお、「形」のバリアフリーは進んでも「心」のバリアフリーは進んでいない、そう感じています。当事者やそのご家族でしかわからない生きづらさの中で、その生きづらさを見ていれば「障がいのある子どもが生まれてくるのはかわいそう」と一面的に考える方がいても、誰もその判断を批判することはできません。

でも本当に難しい問題です。学生には最後にこう付け加えます。「でもね、お腹の中にいる子どもたちは障がいがあろうとなかろうと、お母さんやお父さんに会いたいと考えていると思うよ」。この言葉に教室はしんと静まり返ります…。誰も祝福されて生まれてくることができる社会になれば、出生前診断などは必要なくなるのかもしれませんが…。

以上