歴史小説では戦国時代と、幕末から明治維新前後の話に人気があるようです。私も同様ですが、特に幕末の国内の激しい動きについては登場人物たちが大変に魅力的で、その生きざまに憧れる人々が多いようです。そこで私は大学の授業で明治維新の偉人たちの「特性」について話をすることがあります。

 頑固一徹で周囲の意見に耳を貸さないリーダー、コミュニケーション豊かで誰からも好かれ国と国とを仲介した浪人、冷静に戦況を分析し少ない手勢で集団相手に戦った幕府側の侍などなど。平和な時代であれば「変わり者」「困った人」と後ろ指をさされたのかもしれませんが、混乱している時代であればあるほど、真の実力を発揮する人々がいます。

 15世紀、イングランドの百年戦争で兵を率い活躍したフランスの英雄、ジャンヌ・ダルクはご存じかと思います。彼女は「神の啓示を受けた」として軍隊に参加、数々の戦功を上げますが、様々な背景から19歳で火刑に処せられた話はあまりにも有名です。ただ現代の研究者たちの中には彼女の生い立ちを振り返り、ひょっとしたら「心の病」だったのかもしれない、と指摘する者もいます。

 数百年も昔の話ですから真実は定かではありませんが、歴史を振り返れば行動特性があるものの社会が乱れているその時代でこそ活躍した人々が確かに数多くいます。このような人々の存在を「不安定の中の安定」と呼ぶことがあります。時代が不安定な時にこそ実力を発揮する人々であり、世界も日本も、このような人々に助けられたり支えられたり、あるいは逆にこのような人々に翻弄され社会全体が戦乱の中に放り込まれてしまった時代もありました。

 このような視点で歴史を振り返ることはもちろん興味深いのですが、では歴史の表舞台に登場することのない市井の人々のうち、何らかの特性により生きづらさを抱えていた人々の明治以降の暮らしはどうだったのでしょう。私は大学で特別支援教育について教えていますが、障がいのある子どもたちへの教育を考える際、その歴史について触れることは必須であり、特に明治以降の時代の流れはとても重要になります。

 私の専門は病気の子どもの教育(病弱教育)ですが、みなさんは日本ではいつごろからこの教育が始まった、と思いますか?実は明治のかなり早い時期から病弱教育は始まっていた、という見方があります。いまでも怖い病気ではありますが、今以上に完治が難しい病だった結核は当時「国民病」ともいわれ、この病気に罹患する子どもも多くいました。

 そんな子どもたちに対し病気治療と学校教育を並行して施すことができる病弱教育が明治のころから広まっていた背景はわかりますか?そう、それは日本の急激な軍備増強に伴う動きだったのです。病気を治して兵隊になってもらおうとする時代の要請が病弱教育というジャンルを確立させていったのかもしれません。悲しい話ですね…。

 聴覚障害があるお子さんが通う「ろう学校」(視覚障害特別支援学校)ではつい最近まで手話を学校で教えることが敬遠されていました。もちろん日常会話や授業では言葉と同じように手話でコミュニケーションをするのですが、社会に出れば口話法(相手の口の形から言葉を読み取り、自身も同じ口の形で話そうとする方法)を使うことがよいとされていました。

1993年にようやく文部省(いまの文部科学省)が手話を認め、コミュニケーション手段の一つとして位置付けたのですが、さて、みなさんはなぜ手話がこのころまで推奨されなかったかわかりますか。そうですね。街中で子どもたちが手話で会話していると白い目で見られた、明治から昭和にかけては手話を使う人は露骨な差別を受け、学校や保護者は聴覚障害があるわが子を守るためにも手話を使うことを禁じた、という悲しい歴史があるのです。

 知的障がいや肢体不自由がある人々はどうだったでしょう。このような人々のために施設を作ったり車いすなどの補助手段を開発したりする先人たちがいました。しかし、その動きが国全体に広がることはなく、地域的な取り組みに終始していました。社会が障がいを認めていなかったからですね。それはなぜなのか。

あくまでも私の考えですが、一つには戦争、もう一つには戦後の経済復興が背景にあったからだろうと思います。明治、大正から太平洋戦争に向かう時代、子どもを含め日本人は「国のために命を賭して戦う」ことが正義とされていました。その反面、お国のために戦えない人は非国民とされ、社会のお荷物と考えられていたのかもしれません。

実際、太平洋戦争が激化する中で、軍部は養護学校(今の特別支援学校)の子どもたちが空襲から避難する際などに邪魔になる、として学校長に全員を抹殺するように命令した、という話があります。ただ校長は「子どもたちを殺すなら私を殺せ」と言って命がけで教え子を守りました。

戦後の経済復興ではとにかく荒廃した日本を再び豊かにするため、国民は働きに働きました。最近の流行語ではないですがまさに「働いて働いて」という時代、障がいのある子どもたちも学校で職業訓練を受け就労していきましたが、働くことが難しい子どもたちは入所施設で一生を過ごすことが多かったと思います。戦前と思想は変わらなかったかもしれません。働けるものは働きなさい、そうでないなら…、ということですね。

さて、いま21世紀の日本、世界はどうなのでしょう…。みなさん、どう思いますか?

以上