「宙わたる教室」という小説があります。伊与原新さんの作品ですが、2024年秋にはNHKでドラマ化されています。ちなみに伊与原さんは別作品(「藍を継ぐ海」)で2024年下半期の第172回直木賞を受賞しています。彼は大学で宇宙に関する物理学を学び、その作品には科学をテーマにしたものが多いようです。

「宙わたる教室」は東京にある定時制高校が舞台となっています。ネタバレになるので詳しくはお話しできませんが、多様な定時制高校生たちが宇宙科学に知見のある教師の下で夢や目標を実現していくため試行錯誤を繰り返し、ぶつかり合い、支え合い、悩み、切磋琢磨しながら突き進んでいく、という胸アツなストーリーです。

主要な登場人物の一人に社会を少し斜めに見ている青年がいます。小さなころからいくら努力しても勉強ができない、周囲から「努力が足りないからだ」とダメ出しをされ人生をあきらめかけていました。しかし、高校でこの教師と出会い、さんざんに反発しながらも徐々に人生の新しい目標を見つけていきます。

彼は教師から「読み書きが苦手」であることが本人には責任のない(努力不足などではない)発達上の課題であることを指摘され、それからはこの課題を改善するため人知れず努力を続けます。そしてそこから人生の夢、目標を見つけることができるようになってきます。

学校とはすべての子どもの中にその子なりの可能性を見出し、気づかせ、伸ばし、夢や目標の実現に向けて主体的に努力できる道筋を作ってあげる場所であるべきだと思います。そしてそのお手伝いをするのが教師、「先生」の役目です。昨今は「先生」になりたい若者が減っています。しかし、子どもの人生を共に探し、見つけ、その背中を支えていく仕事はとても魅力的です。確かに大変なことは多いのですが、私自身は数十年の教師経験の中で、そのわずかな一瞬の感動を追いながら働いてきたのかもしれません。

「宙わたる教室」、ぜひお読み頂ければと思います。

 

 「あかとんぼ」の設立に向け、まさに命がけの努力をしてきた私たちの背中を支えた2つ目の理由(社会的背景)をお話ししましょう。

 私が勤めていた養護学校(現・特別支援学校)の子どもたちが「あかとんぼ」に通っていました。ある男の子は車いすを利用していましたが、学校ではとても気が優しく、先生の言うことをよく聞く、いわゆる優等生でした。

 ある夏休みの1日、「あかとんぼ」をのぞきに行くと彼は車いすから降り、床を這いながら友だちと取っ組み合いのけんかをしていました。そして私の顔を見ると慌てて「優等生」に戻りました。

 これは別のクラスの女の子ですが、「あかとんぼ」の若い男性スタッフに「恋」をしました。彼女はそれとなくスタッフにアプローチするのですがその思いは届きません。ある日、スタッフが別の女の子の介助をしていると、彼に恋心を抱いていた女の子はとっさに玄関から飛び出し、庭の大きな木の陰で泣き始めたのです。驚いて追いかけたスタッフは彼女の目に溜まった涙を…、見つけることができませんでした!いわゆる「ウソ泣き」でした。さて、誰に学んだのでしょう?

 「あかとんぼ」に通い始めてから、子どもたちのこのような社会生活上の変化が数多く見られました。学校は先生から学ぶ場であり「緊張」を伴う環境でもあります。そして当時、多くの障がいがある子どもは様々な理由により学校と家庭を往復するだけの日々を過ごしていました。学校で「緊張」し、家庭でストレスを発散する。その発散方法は多様で、中には物を壊したり泣き続けたりする子もいて、ご家族はその対応に腐心していました。

 子どもたちが学校で学んだことを社会で実践し、「緊張」を強いる場でも家庭でもない「第三の場」で人間関係作りを学び、そして友だちやスタッフとかかわりながら程よくストレスを発散する。「第三の場」の存在は障害のあるなしにかかわらず学校教育を強化し定着させ、家庭を真の意味で安らぎの場に戻すことができます。前述の男の子は学校とは異なる環境で自分の中にあった「友だちと思いっきりふざけたい!」気持ちを体現させ、女の子はだれに教わったわけではない「女ごころ」を体現させる機会を得ました。これが教育でも保育でも、また単なる預かりでもない「療育」ということではないでしょうか?

 「あかとんぼ」はお母さんたちにとって自立を支える存在であったのと同時に、子どもたちにとっても極めて貴重な社会教育、療育の場として重要になりました。実際に「あかとんぼ」に通い始めてから言葉のなかった自閉スペクトラム症のお子さんが話し始めたり、不登校傾向のお子さんが「あかとんぼ」には通うことができたりするようになるなど、大きな変化、成長を目の当たりにすることができました。

障がいのないお子さんにとっては友だちと遊びあいながら社会性を高めていく地域生活、地域活動の場があり、そして「第三の場」となる部活動や学童保育、子ども会などの場があります。「あかとんぼ」は障害のある子どもたちにそれらを代替する場としてとても貴重な存在となっていました。

そして「あかとんぼ」にはもう一つの大きな役割がありました。それはまた次の機会に。

(次回に続く)