「きょうされん」という団体をご存じでしょうか?そのHPには次のように紹介されています。「きょうされんは、1977年に障害のある人たちの願いをもとに、16カ所の共同作業所によって結成されました。現在は、就労系事業をはじめ、グループホームや相談支援事業所など、障害のある人が生きていく上で関わるすべての事業を対象としており、1,800カ所以上の会員(加盟事業所)により構成されています」(原文のまま・https://www.kyosaren.or.jp/)。
障がいがある方々の就労や生活を支援する数多くの事業所が参加している団体です。そのきょうされんが2024年度の報酬改定の問題点とその影響を明らかにすることを目的に調査を実施し、2025年2月に報告、記者会見を行いました。報酬改定とは国や自治体が、就労支援、生活支援などを行う事業所に対して、支援のために支払っている報酬の出し方や額を社会の動きを見ながら折々に改訂していくことを言います。
きょうされんの調査では、2024年度の報酬改定の結果、多くの事業所が減収となり経営に苦しんでいる、ということが明らかになりました。ちなみにこの調査に協力したのは全国の生活介護・就労継続支援施設やグループホームなど3177カ所だそうで、調査としてはかなり信頼度が高いものと言えるでしょう。
ここでは詳しい内容は控えますが(詳細については「きょうされん」HPをどうぞご覧ください)、一言で言えば障害がある方の生活や働く場を支える事業所の多くが経営に苦しみ、継続をあきらめざるを得ないところが増えている、ということです。ここ数年、障がい児者の福祉事業は人手不足、それによるケアやサービスの質の低下、経営難などに苦しみ、中には利用する方の食費を削って職員の給与に回すような事件も発生しています(これは摘発されましたが)。
このように何重苦もあるような福祉事業所の現状ですが、それでも利用されているみなさんやそのご家族の立場からすれば内容の質の低下がその生活に影響を与えることは許されません。人材不足や経営難には引き続き各所にアプローチしていきながら、並行してこのような状況の中でも「どうすればケアやサービスの質を維持し、かつ高めていけるか」を考えていかなければならいでしょう。
レジLABOは今までにはなかった「エシカル(良心的)な事業内容を共に考え、提案し、具体的なサポートまでを行う」新しい形の「ふくし応援団」を目指していきます。ぜひ利用者の視点に立った活動を新たに始めたい、見直したいという方がいましたら、お気軽にご相談を頂ければと思います。
千葉県で初の障がい児放課後クラブ(今の放課後等デイサービス)となった「あかとんぼ」設立について前回より話を続けましょう。
1997年9月、養護学校(当時)の保護者とともに子どもたちの放課後生活の場を作ろうと動き始めましたが、資金もない、場所もない、ノウハウもない「ないないづくし」の中で私たちはそれでも手探りで前向きに行動しました、やがて養護学校近くの福祉施設が空いている午後3時以降に施設内の一室を提供してくれることとなり、さらに「そういうところで子どもたちのサポートをしたい」とするスタッフ希望者が現れ、当初は保護者からの保育料と保護者によるボランティア参加でやりくりしていけるところまで話が進みました。
1998年4月、間借りした施設内で開所式を行い、メディアも取材に訪れ「あかとんぼ」はスタートしました。その後もお父さんやお母さんと共に市町村役場や県庁を回り、少しずつ自治体の補助を取り付けながら、2000年4月には佐倉市の緑豊かな場所に築100年を超え庭も広い古民家を見つけ「あかとんぼ」はそこに移転しました。
活動のうわさは徐々に広がり、利用希望者が増え、自治体の補助金が入り始めたこともあり、アルバイトやボランティア希望者も多く集まるようになりました。保護者がボランティアする必要は徐々になくなり、学校からの送迎車両も増やすことができ、徐々に「あかとんぼ」方式による放課後活動が千葉県内や全国に広がりを見せていきました。そして全国で同様の活動を続けていた団体が集まり全国組織を結成、当時の厚生労働省に障がいがある子どもたちの放課後や休日の地域活動が重要であることを伝え、その後の放課後等デイサービスの制度化につながりました。
しかし、なぜ当時、障がいがあるお子さんの保護者、特にお母さんたちがこれほどまでに身を粉にしながら地域施設の立ち上げに必死になったのでしょう。そこには三つの大きな理由(社会的背景)があります。その一つは…。
開設当初、無償で場所を貸してくれた障がい者施設に、成人した知的障害のある息子さんを通わせていたある保護者が「あかとんぼ」のお母さんたちに言いました。「障がいがある子どもは親が責任をもって育てるもの。人に預けて自分が楽をしてはいけない」。暗に「あかとんぼ」の活動を否定するような先輩の言葉に、お母さんたちは衝撃を受け、涙しました。「楽をしたいんじゃない。私たちにも自分の生き方を考える機会が欲しいから…」。
20世紀の後半は男が外で働き、女は家を守り、子育てに尽くす。それが当たり前だったかもしれません。そのような中で障がい者や高齢者だけでなく女性の権利も侵害されていた、と私は考えています。こんなことがありました。
近くの小学校からお子さんを養護学校に転校させてでも「あかとんぼ」を利用したい、と希望したお母さんがいました。お子さんに障がいがあることにより配偶者からDVを受け、それでも「(当時の福祉制度では)離婚すれば子どもは入所施設に行くことになり母子が離れ離れになってしまう」と考え、ひたすら耐えていたそうです。しかし「あかとんぼ」のうわさを聞き「ここなら配偶者と別れても我が子とともに生きていけるかもしれない」と考え行動に移しました。結果的に配偶者と別れることができ、お子さんは放課後や休日に「あかとんぼ」に通いながら、お母さんは定職に就いて経済的にも不自由なく母子家庭で生きていくことができるようになりました。
ある夜のお母さんからの電話を忘れられません。「あかとんぼのおかげで夫と別れることができました。ありがとう…」。そのあとはお母さんも私も、涙で会話が続きませんでした…。離婚報告の電話をうれし涙で受けた初めての経験でした…。
子どもに障がいがあろうとなかろうと、母親は一人の女性であり、その生き方を追求していく権利があります。「あかとんぼ」は古い封建的な考え方が残っていた20世紀末の「社会の先駆者」だったのかもしれません。時代のはざまに登場し、その開設や運営を支えたお母さんたちは21世紀の新しい女性の時代を切り拓きました。そしていまや放課後等デイサービスは全国2万カ所にも増え、子どもたちの笑顔とともに多くの女性の自分なりの生き方をも支えていることと察します。
そして2つ目の理由(社会的背景)とは…。
(次回に続く)