2024年秋、自閉スペクトラム症(ASD)の弟とその兄を主人公とした民放の連続ドラマが放送されました。サスペンスも絡むミステリーのような筋立てでしたが、何よりもASDがある弟役を演じた役者さんの好演が注目されました。私も全話を視聴しましたが、その演技力には圧倒されました。

余談ですが、ドラマには大学の教え子も出演していました!特別支援学校の教員免許取得を目指しながらも「役者になりたい」との夢をあきらめきれず、やれるだけのことをやってからその結果次第で改めて教員にチャレンジしてもよいのではないか、と助言した教え子です。卒業後、舞台やCMで活躍していたことを聞いていましたが、そのドラマのエンドロールに教え子の名前を見つけ、すぐに連絡を入れました。ドラマの役どころに特別支援教育の学びが大いに役立ったようです。

宣伝になってしまいますが、勤務する大学の学科には小中学校の先生になりたい学生が多く入学してきますが、入学式の数日後、教員免許希望者は私の特別支援教育に関する授業を初めて受けます。彼らにとってその内容は衝撃的で魅力的なものに映り、「特別支援学校の先生になりたい」と進路変更する者が続出します。さらに学びを深める中で、特別支援教育の知識を生かしながら福祉施設や教育産業への道を模索し、時には役者や声優を目指す者も出てきました。いずれにせよここで学んだ障害や病気がある子ども、その保護者、「きょうだい」(障害のある兄弟姉妹がいるその兄弟姉妹を指す総称の福祉用語・平仮名で表記します)に関する学びを社会のあらゆる場所で活かしてもらえるのなら、私は彼らの選択を尊重し、これからも応援していきたいと考えています。

さて、先のドラマは内容こそサスペンスであったものの、障害がある方のいわゆる「親亡き後」というテーマも含んでいました。事故で両親を亡くし、ASDの弟と、その暮らしを守るため好きな道をあきらめ地元の公務員となった兄。二人はつつましく生活していましたが、ある事件をきっかけにして互いの生き方を見つめ直し、最終回ではそれぞれが新たな道を歩んでいきます。

ドラマが放映されていたころ、障害があるお子さんを持つ保護者向けの講演依頼が相次いだのですが、テーマはいずれも「親亡き後」でした。2024年にはあるグループホームの運営会社が組織的に居住者の食費を不当に削り、余剰分を人件費等に充てていた事件が社会を揺るがしました。必要な量の食事を用意されず、居住者はどんなにお腹を空かしていたことでしょう。それだけではなく日常生活に必要なサポートも受けられていなかった方が多くいたようです。

この事件が「我が子のためには親亡き後に住む場所があればそれでいい」という考え方だけではお子さんの人生を豊かにすることは難しいかもしれない、と多くの保護者が考えるきっかけになったのかもしれません。人が生きるためには衣食住が保証されているだけでなく、様々なソフトコンテンツが必要です。夢、目標、希望、趣味、余暇、娯楽…。これらは障害の有無にかかわらずなくてはならないものだと思います。講演会ではそのようなお話をさせていただきました。

また、いまも障害のある方の人生は「きょうだい」が見守るべきとする考え方がありますが、それはあくまでも選択肢のひとつであり、当事者や「きょうだい」が別の選択肢を考えるなら、それも優先されるべきです。ドラマではまさに彼ら兄弟の固定観念が解きほぐされ、二人は互いの人生のために別々の道を選んだのです。

ちなみに講演会で「このドラマを見ていますか?」と参加されたみなさんに問いかけたところ、多くの方が挙手されました。中には「ドラマを見て考え方が変わった」と涙ぐんでいた方もいらっしゃいました。当事者にとっては悲しむべき「親亡き後」ですが、ドラマがきっかけとなり、社会全体でこの問題を考えていくような風潮が広がればよいですね。

 さて、前回の「あかとんぼ」を立ち上げた頃の話の続きをしましょう。

 1997年7月、養護学校(当時)の保護者から夏休み中の育児に苦労が多い話を聞き、障害のあるお子さんがいるご家庭はすべてが同じ状況なのかどうか、様々な方法で調査を始めました。現役の教員ではありましたが、学校の夏季休業期間であったことが幸いし、図書館や役所に通い、まださほど一般的ではなかったウエブサイトからも情報を得て、どうやら国内には自治体から補助を得て養護学校の放課後、土日、長期休業中に家庭以外でお子さんを預かる民間の事業(施設)が存在することを知りました。

 そのうちの一つ、東京都町田市のある施設を見学させていただきました。夏休み中の子どもたちが集まり、おやつを食べ、民家の庭先で楽しく遊んでいました。千葉県ではどの役所でも消極的な対応だった、自治体を動かしてこのような活動を進めるのは大変そうだ、と嘆く私に、運営者は言いました。「松浦さんが自分で作ればいい」。まさに「目からウロコ」でした。現役の教育公務員である自分が民間事業を立ち上げる。その大変さにはこの時はまだ気づきませんでしたが、なんだか「千葉でも出来るかも…」と根拠のない自信が生まれました。

9月、勤務先の校長に了解を得て、校内の全児童生徒の家庭からアンケートを取りました。「他の都道府県には養護学校の放課後や土日、長期休業中に家庭外でお子さんを預かり、子どもたちが地域で遊んだり学んだりしている事業所がある。千葉にはまだそういうところはない。自分は自力でそういう場所を作ろうと考えているが、みなさんと一緒に作れないか?」。

 後日、集まった回答のほとんどに「子どものためにも自分のためにも、そんな場所が欲しい!」「必要だ!」「一緒に作りたい!」など熱い言葉が並んでいました。そしてある日、「作る会」を立ち上げるため、学校近くの公民館に小さな部屋を借り、賛同者を集めました。集合時間に少し遅れた私が見たものは、小さな部屋にあふれんばかりの保護者たちでした。あとから聞いたところによれば、養護学校でこのような動きがあることを聞いた近隣の小中学校の特殊学級(当時)の保護者もいたようです。

 他の都道府県の様子、見学してきた施設の話、これからの計画を伝え、最後に「みんなで作りましょう!子どもの、家族の生活をもっともっと豊かにしましょう!」と訴えると、目を真っ赤にした母親たちの大きな拍手が、いつまでも鳴りやむことはありませんでした…。

(次回に続く)