若い頃、世界的に有名なテーマパークが千葉に完成しました。少し興味があり、アルバイト募集に応募しました。そこで当時としては画期的な話を聞きました。外国にある同系列のテーマパークでは働くスタッフ同士がお互いにファーストネーム(名前)で呼び合うので、日本でも胸の名札にはファーストネームが書いてある、ということを。
欧米では文化として当たり前に親しみを込め互いのファーストネームを呼びあうようですが、当時の日本はそんな社会ではありませんでした。さらに説明を聞いていると、スタッフ同士はお互いに呼び合うときにはセカンドネーム(苗字)に男女問わず「さん」をつけて呼びあうとのこと。当時の私にとってはなかなかに新鮮な話でした。
ファーストネームで呼ぶかセカンドネームで呼ぶか。これは学校では結構重要なことなのです。以前のブログで最近は先生が子どもを呼ぶときや子ども同士がお互いを呼びあうときには男女問わず「さん」付けにする学校が増えていると紹介しました。子どもがあまり呼ばれたくないあだ名をつけられると嫌な思いをするし、いまは多様な性を認め合う時代なので「男」とか「女」とかを「くん」「さん」で区別しなくなっていることも背景にあるでしょう。
ただ気をつけなければならないのは先生が子どもを呼ぶときです。もちろんあだ名で呼ぶことは許されませんが、時折、親しみを持って周りを囲む子どもたちを、親愛の情を込めてファーストネームで呼ぶ先生がいます。それも呼び捨てにすることが。「太郎!」「花子!」というように。
私はこれも学生には絶対にしないよう教えています。子どもはよく理解しています。自分は先生にかわいがられていないから「田中さん」と呼ばれ、運動神経抜群で勉強もでき、先生に気に入られ目をかけられている友だちは「太郎!」「花子!」と呼ばれることを。それは先生のさりげない「差別」なんですね。
先生も人間です。親しげに近寄ってきて先生の仕事を手伝ってくれたり、昼休みや放課後に教室で先生を囲み世間話をしにきたりする子どもたちがかわいくなります。他の子どもがかわいくないというわけでは決してありませんが、ちょっとした呼び方の違いがやがて少しずつ学級経営に影響を与えていくことがあります。
かわいく思える子どもを授業中に指名して発言させる機会が多くなり、そうでない子どもにはあまり発言の機会を与えなくなるなど。そして同じ失敗でもかわいく思えるこどもにはさりげなく笑顔で注意を促し、そうでない子どもには厳しく当たるなど、自分でも気づかぬまま、知らず知らずのうちに対応に差が出てきてしまいます。
報道によれば九州のある小学校で、担任の先生が意に沿わない子どもに対し、日常的にゴキブリを意味する「G」と呼んでいたそうです。「努力しないのに勉強ができるのが気に入らない」という理由で。このほかにも不適切な行為が多々あったようですが、毎日学校で先生から「G」と呼ばれていた子どもはいったい、どんな気持ちだったのでしょう。想像するだけで辛くなります。
「努力しないのに勉強ができる」子どもは少なくありません。でも「努力しない」というのは大きな誤解です。私が出会った中には、聞いたことや見たことがそのまま情報として頭に入る特性を持った子どもたちがいました。一般的にはギフテッドと呼ばれていますが、文部科学省では「特定分野に特異な才能のある児童生徒」と定義し、様々な支援を進めています。芸術分野、数学・化学・IT分野などで力を発揮することがあります。
そのような子どもや保護者からはやはり先生から「学校で真剣に授業を受けないのに成績が良い」と半ば非難するような言葉を投げかけられた、という相談が過去に何件かありました。確かに先生にとっては創意工夫し、教材を作り、指導方法を一生懸命考えながら、子どもたちが楽しく授業を受けられるよう頑張ったのに聞いてくれない、それでいてテストで点数を取ってしまう子どもに対しては「えっ?」と違和感を持つことは理解できます。
今は多様な子どもたちが一つの教室にいる時代です。障がいや病気のあるお子さんや外国のお子さんなど。同様にギフテッドのようなお子さんがいても不思議ではありません。そしてギフテッドと呼ばれるこどもたちは特定分野の成績は良いけれど苦手なことも多く、生きづらさを抱えている場合があります。他の子どもと同様に先生は支援をしていく必要があります。
自分の価値観だけで子どもの好き嫌いを決めつけ、この子はかわいいがあの子はかわいくない、と考えていけば、教え子を「G」と呼んだ先生のように懲戒処分の対象になってしまうことが十分にあり得ます。いまは人に対する価値観の幅は広がり、特に先生は可能な限り一人一人の良いところを見つけ、それを伸ばしていけるような教育をすべきだろうと考えます。
先生がすべての子どもを「さん」付けで呼ぶ小さなことから平等の価値観で彼らを教えていく素地を磨き上げ、子どもたちだけでなく自らの人権感覚も養っていけるような、そんな学級経営が理想です。人の呼び方は自らの価値観を鍛えていく基本です。先生だけでなく、自分も含めすべての大人が意識していくべきことかもしれません。
以上