ニューロダイバーシティという言葉をご存じですか?専門書を読みながらこの言葉を知ったのですが、ニューロとは脳神経を指し、ダイバーシティは多様性を意味します。読んで字のごとく多様な脳神経系の在り方を尊重する、ということで障がいがある方にとってはその文化、考え方などを肯定的に認め、社会の中に活かしていこうという意味になります。
昔よりだいぶ改善されてきたとは思いますが、いまの社会はそれでも大多数(マジョリティ)が優先される作りになっています。ICカードによる自動改札機は右利きの方向けが多く、信号の赤青黄色は色覚多様性(昔は色覚障がいなどと呼ばれていました)の方にはわかりづらく、飲食店のタブレット型メニューはITが苦手な人々には極めて使いづらいものとなっています。
公共交通機関や映画館、コンサート会場では静かにしなければいけませんし、スーパーマーケットの中を走り回ってもいけません。マジョリティの中で生きてきた私たちはそれらを「道徳的」な常識として学び、集団の中でのルールとして身に付けてきました。学校でも授業中は静かにし、立ち歩いてはいけない、居眠りをしてはいけないと注意されてきました。
日本では特に、このような「常識」の中では知的障がいや発達障がいがある人々や子どもたちは時にルールを知らない、守らない、守れない、何もわかっていない存在としてマジョリティから注意され、集団の中で「常識」的な行動ができるよう「教育」され、それでも指示が守れないとされるとその場から排除されることもありました。
この国でインクルーシブ教育(障がいの有無にかかわらず共に学ぶ教育)が進まないのはそこに一因があると考えています。以前にも触れましたが、海外では1クラスの人数が20名を超えず、その中に3人も4人も教育スタッフがいて、子どもたちの発達段階ごとに少人数のグループを作り、寄り添って学習を進めるため、障がいがあっても外国人であっても、多様な仲間たちが共に学ぶスタイルを実現している国があります。
ニューロダイバーシティの考え方を用いれば、私たちは一人一人、顔や体の形が当たり前に異なり、背が低かったり高かったり、肌や髪の色は様々で、声色も違い、性格にも当然に差があります。一卵性双生児(双子)は顔形や性格がよく似ている場合もありますが、全く同じであることはありません。一人一人の人間は存在が全く異なっていることが当たり前です。
それは体の中も同じことです。内臓や筋肉の形はもちろん異なり、脳神経の形状も違っています。人の記憶、考え方、行動パターンなどは脳の働きによって左右されますが、その脳の形が違えば考え方なども変わってきます。もちろんそれだけではなく成長過程での教育、経験などから身に付く能力が異なるのですが、脳神経の形状が異なっていれば同じ教育を受けたとしても入力のされ方が変わり、知識や情報として根付く内容も変わってきます。
知的障がいや発達障がいがあるとされている人々の脳神経は、最新の脳科学では言語や記憶(高次脳)などを司る機能がうまく働いておらず、社会性(人間関係を育んだり集団のルールを守ったり)の獲得などにも困難性があるとされています。また言葉を操ったり人の表情から他者の気持ちを推し量ったり物事の見通しを持ったりすることが苦手な場合もあるとされています。
ニューロダイバーシティとは顔や体つきが異なるのと同じく、物事の考え方や行動パターンが異なることはあくまでも一人一人の「違い」として尊重されなければならず、マジョリティ中心の社会構成の在り方を変えていかなければならない、とする新たな考え方です。すでにITあるいはICTといった電子システムの登場で少数派(マイノリティ)といわれている人々にも暮らしやすい時代になりつつあります。
スマートフォンのアプリを使えば多言語をリアルタイムで日本語に翻訳してくれ、その逆もまた可能となり、聴覚障がいがある方には音声文字変換アプリが用いられ、メールアプリを用いれば当事者からの発信も可能になっています。視覚障がいがある方には文字を認識し音声化するアプリを使えば書物を読めるような時代になっています。
またAI(人工知能)を用いれば視覚障がいや聴覚障がいの方々が行動する際にガイドしてくれたり危険を知らせてくれたりすることも可能になりつつあります。それは同様に知的障がいや発達障がいの方の行動やコミュニケーションにもある程度の示唆になってくれるのだろうと思います。
では社会性の部分はどうでしょう?新時代の様々なシステムを使えばコミュニケーションや考え方の部分ではダイバーシティが優先されていくかもしれませんが、学校で「静かにすることはいいこと」「周囲に同調することが大切」と学んできたとしたら、この国のそのような伝統的なルールにそぐわないマイノリティはこれからも問題視されて続けてしまうと思います。ではどうしたらよいのか?
長い道のりにはなると思いますが、まずはこの世の中はすでに多様な人々の集合体であり、様々に行動する人々がいて当たり前なことを理解しましょう。意図的に人を困らせたり嫌がらせをしたりする人々は制されなければなりませんが、大勢の人の中で緊張して大声を出してしまったり、言葉でのコミュニケーションが難しく気持ちを行動で表してしまったりする人々がいることをぜひ知ってください。
そしてそのような人々の存在を尊重し、共に生きるためにはどうしたらよいかをその場その場で考えていきませんか?教育現場ではまだ限定的な動きではありますがインクルーシブ教育を進めるための工夫がされ始めています。「案ずるより産むがやすし」。できない理由を探すのでなくできる方法を考える。ニューロダイバーシティの思想は22世紀の世界の潮流になるでしょう。いまから少しずつ、できることを一緒に考えていきましょう!
以上