先日、新聞でアメリカのおもちゃ会社が子どもたちにとても人気があり長い歴史もある着せ替え人形の「自閉症」バージョンを作り販売する、という記事を見て驚きました。私の娘も小さいころからこの人形で遊んでいてなじみがあったのですが、おもちゃの人形に「障がいバージョン」があることに衝撃を受けました。
さらに調べてみると同じシリーズの人形にはすでにダウン症バージョン、車いすバージョン、聴覚障がいバージョン(補聴器をしている!)があることがわかりました。勤務先で同僚に「こんな人形があるよ!」と伝えたら、その彼はとっくにもう知っていて、しかも研究室にそろえている、と聞いて「知らぬは我が身ばかりなり」と反省してしまいました。
しかし子どもの遊び道具に多様性を取り入れるのはさすがアメリカです。このおもちゃ会社は21世紀の初めに表情を持つ機関車模型が活躍するテレビシリーズの版権を買い取ったそうですが、その後、このシリーズに自閉症と同じ特性を持つ機関車が登場し話題を呼びました。明るくコミュニケーション豊かなのですがこだわりが強く特定の分野への関心が大きい、そんなキャラクターです。
テレビシリーズの中で自閉症と名乗りはしていませんが、おもちゃ会社はメディアに「このキャラクターは自閉症をモデルにしている」と発表しています。私が感銘を受けるのは、これらが決して「障がい理解」とか「啓発」を目的として作られているのではなく、社会を構成する一員としてごく普通に登場させている点です。
それが社会のニーズなのでしょうが、日本では今も障がいがある方のメディア記事やテレビ番組を見ると「障がいがある方を理解し支えましょう」的なものがまだまだ多いように思います。そうなると中身も障がいがある方々「清く正しく美しく」としか描かれないことがよくあります。
しかしみなさん、よく考えてみてください。思い出してみてください。日本のアニメーションの登場人物にも興味深いキャラクターがたくさん出てきますよ。しかもキャラクターたちは自らの特性を魅力にしながら強みを発揮し、周囲に様々な形で貢献しています。
私と同世代の野球少年であれば必ず見たはずです。いまでいえば父親から虐待まがい(?)のしごきを受け成長し、やがて剛速球投手としてプロ野球チームに入り、様々な魔球を操りながら活躍する主人公は、周囲とのコミュニケーションがあまり得意ではないものの目標に向かって一途に努力していくその姿がまさに「特性」といえます。
非行少年がボクシングを通じて人生を学び、その過程において登場する様々なライバルたちとの人間ドラマが描かれている漫画、アニメーションもありました。主人公はキレやすく、じっとしていられず、人間関係作りも苦手でしたが、周囲の温かい人々や社会の支えを受けながら少しずつ成長していく姿に多くの人々が共感を覚えました。漫画の最終回、彼が真っ白になる姿に涙した人も多かったと思いますが、このころ彼はすでに人の気持ちがわかるようになっていて、彼を愛する女性の静止を優しく振り切り、最後のリングに上がっていく姿は圧巻でした。
またいまも人気のある国民的アニメの主人公は思い込みが激しく曲がったことが嫌い、そして誰から構わず困っている人がいればおせっかいにも手を差し伸べます。いたずらをしたきょうだいを怒って追いかけていくその女性は、どんな失敗も笑いに変えてしまいます。私も小さいころからこのアニメに親しんできましたが、いまは主人公のお父さんの年齢も越えてしまいました…。
私が高校生の頃にテレビ放映が始まり、いまもそのシリーズが様々な形で延々と続いている「ロボット」アニメ(「ロボット」というと怒る人もいますが…)の主人公は機械いじりが好きすぎて学校にも行かず家に引きこもっていましたが、戦乱に巻き込まれ期せずして「ロボット」を操縦することになり、注意書きを読みながらも初めて乗ったその「ロボット」で敵を倒してしまいます。まさに特殊能力ですね。その後、彼は「新しいタイプ」の人類として描かれていきますが、上司とぶつかったり戦場を放棄したり様々な経験を通じてやはり人として成長していきます。
5歳の幼稚園児が活躍するアニメでは、特にキャラクターの特性が顕著に描かれています。言葉は巧みなものの言い間違いや聞き間違いが多く「夫婦水入らず」を「夫婦水びたし」と聞いてしまったり「全くこんなに汚してくれて」と文句を言われればほめられたと勘違いし「いやあ、それほどでも」と返したります。しかし彼には彼を支え理解し、映画ではまさに彼と運命を共にするような仲間がいます。そして彼の行動にあきれながらも優しく見守る家族がいます。いざというときにはそんな家族や仲間を助ける彼は、様々な特性がありながらも周囲に愛される人物として描かれています。
私はこれが多様性だと考えています。現代を生きる日本人も漫画、アニメから多様性を学び、その登場人物たちの失敗に対し寛容性を見せるストーリーの影響を受けてきています。そしてそれを私たちは現実に反映させることもできるはずです。むしろ今のアメリカでは移民を排除しようとするニュースのように、人との違いを認めない不寛容な社会が広がっているようにも感じます。
こんな時代だからこそ、私たちは多様性を認め合える社会を作っていく必要があると考えています。学生を見ているとそう思うのですが、いまの若者はテレビや新聞ではなく、SNSから情報を得ることが多くなっているようです。そうするとどうしても知識や関心が偏り、場合によってはフェイクニュースに影響を受けてしまうこともあるでしょう。そんな彼らに多様性や寛容を説くのは私たちの使命でもあるように思います。いかがでしょうか?
以上