大学の授業では、必ず障害者差別解消法と合理的配慮について教えます。障害者差別解消法は2013(平成25)年に制定され、2016(平成28)年4月に施行されました。その後何度かの改正を経て今に至ります。法律の趣旨は「企業や店舗などの事業者や国・都道府県・市町村などの行政機関等が、障害のある人に対して、正当な理由なく、障害を理由として差別することを禁止」することです。「不当な差別的取扱いの禁止」です。
では「不当な差別的取扱い」とは具体的にどのようなことを示すのでしょう。「障害者の差別解消に向けた理解促進ポータルサイト」には次のような例が示されています。
- 受付の対応を拒否する
- 本人を無視して介助者や支援者、付き添いの人だけに話しかける。
- 保護者や介助者が一緒にいないとお店に入れない
2024(令和6)年から施行された改正障害者差別解消法では学校や役所、警察、消防などの行政機関を含むすべての事業所でこのような対応を禁止しています。そのうえで各々の事業所では障がいがある方一人一人に対し「合理的配慮」といってその人に応じて規則や環境を変更したり調整したりしなければならない、となっています。
大学でこの法律について教えた際、次のような問題を出しました。「高級レストランが盲導犬を連れたままの視覚障害がある方の入店を拒否した。これは差別解消法に違反するか?」。数分、周囲と話し合う時間を設け、その後「違反する」「違反しない」の選択肢について挙手させたところ、概ね半数ずつの学生がどちらかに挙手をしました。さて、みなさんはどう考えますか?
正解は「違反する」です。視覚障がいがある方にとって盲導犬の存在はいわば自身の分身であり、場合によっては命を預ける存在でもあります。「でもレストランに犬を連れて入っていいの?」と誰もが思うのかもしれません。まず盲導犬はしっかり教育されていることをお伝えします。人に吠えたり噛みついたりは絶対にしませんし、排泄も指示されないと絶対にしません。視覚障がいがある方の身を守るために全身全霊で寄り添うため常に全神経を使い、その寿命も短いと言われています。もちろん衛生面でもリーダー(盲導犬の使用主)は常日頃から気を配っているので全く問題がありません。
次に差別解消法では「どのような方が利用しようと差別的対応にならないよう事前に準備を進めておく」ことも規定されています。この法律が施行(有効になる)されたころは様々な市町村役場、また教育委員会から法の理解に関する研修会の依頼がありました。事業所として事前に従事者への共通理解を図る「準備」をされていたことになります。
つまり学生に提示した高級レストランに関する設問については「レストラン側が盲導犬を連れた方の入店を想定し、その対応や座席配置を決めておく必要があった。それをしていなかったので違法」ということになります。中にはレストランのほかのお客様の中に犬が苦手、という方がいるかもしれませんので、そのことも踏まえながら事前準備をしておかなければなりませんでした。
学生には常に「社会で障がいのない人が普通にやっていることは障がいがある人も普通にできなければならない」と教えています。それは当たり前のことです。障がいのない人が買い物に行く、電車やバスに乗る、美術館に入る、飲食店を利用する。断られることはまずないですよね。であれば障がいがある人も断られるようなことがあってはなりません。
先日、ある新聞の投書欄に次のような投稿がありました。その方が当事者ではないようですが、ある駅で車いすの方を駅員が階段昇降機(車いすに乗ったまま階段を上り下りできる機械)で誘導していた際、駅員が周囲に「ご迷惑をおかけします」を連呼していた、車いすユーザーが階段を上がることは「迷惑」なのか、という内容でした。
特別支援学校の教員をしていた頃から同じようなことを考えていました。知的障がいがあるお子さんの保護者が外出する際、お子さんが少しでも声を出したり走りだしたりすると「ごめんなさい」「申し訳ありません」と頭を下げながらお子さんをたしなめる様子を見て違和感を持っていました。確かに事情を知らない方々には「躾ができていない子ども」と目に映るかもしれませんね。
もちろん周囲への配慮は障がいの有無にかかわらず必要ですが、社会の側が障がいがある方やご家族の生活に理解をし、もし子どもが大きな声を出したり走りだしたりしたら少し手を差し伸べられるようになればもう「ごめんなさい」は必要なくなるかもしれません。「ごめんなさい」よりもお互いに「ありがとう」を言い合える社会の方がずっと素敵なような気がします。
多様な人々の多様な思いを大切にしようとする社会になりつつあります。それが法に触れたりマナーに反したりするものでなければ、障がいの有無にかかわらず様々な人々の思いが大切にされる時代です。誰にだってやりたいことがあり、実現したい夢があります。すべての人の思いを形にできるよう、私たちはたとえ法律がなくとも、互いに支え合って生きていかなければならないと思います。
以上