こんにちは。前回、前々回と「放課後等デイサービスは学校や家庭ではできない経験から学ぶ場所」とお伝えしました。果たしてそれはどのくらい重要なことだとみなさんは考えていますか?
少し前にこんな報道がありました。「障がいのない女性がマッチングアプリで知り合った障がいのある男性を誘い知人の飲食店へ連れて行き法外な請求をさせた」。いわゆる「ぼったくり」ですね。実は障がいがある方用のマッチングサイトがいくつかあります。この存在自体は問題ありませんし、登録されているほとんどの方が適正に活用されていることでしょう。
ただ、社会には障害がある方を詐欺や犯罪行為のターゲットとしようと考えている人々がいることもまた事実です。私が特別支援学校に勤務していた頃には、比較的近い地域で障がいのある女性ばかりを狙った性犯罪が続けて発生し、教員として登下校のパトロールを強化したことがありました。またスクールバス(特別支援学校では児童生徒の送迎に専用のバスを運行させているところが多くあります)を使わず自力登下校、自主通学などと呼ばれている方法で公共交通機関を利用して学校に通っている子どもたちが、電車の中に乗り合わせた他の高校生にからかわれる事件などがあり、同じく同乗してパトロールを強化したこともあります。
大学2年生のクラスで毎年、必ず視聴させる「くちづけ」という映画があります。知的障がいがある方々のグループホームを中心として、地域で起きた様々な出来事を面白おかしく、そして衝撃的に映像化したものですが、2013年に公開された当時はあまりにも赤裸々な内容に批判さえありました。知的障がいがある方が差別、偏見、そして犯罪に巻き込まれやすいことをエピソードに添って伝えているのですが、主人公の女性は若いころに性犯罪の被害を受け、心の傷がその後の人生に大きな影響を与えてしまっています。
映画を見終わると特別支援学校の教員を目指す多くの学生が涙を流し、特にきょうだい(障がいのある兄弟姉妹がいる)である学生は号泣します。しかし私はそこで必ず最後に付け加えます。「ただ涙を流すのではなく、これが社会の真実であると理解しなさい。特別支援学校は理解ある教員がいて、専門的な教育を受けられ、友人も多くできる。子どもたちや保護者にとってはとても心地よい場所だ。しかし、地域に出たり卒業したりすれば学校とは全く異なる空間が広がっている。そして子どもたちは学校で生活する時間より家庭や地域で生きていく時間の方が圧倒的に長い。真の意味で『地域で生きていく力』を身に着けることができる特別支援教育こそが最も重要である」。
社会の障がい理解については確かにここ数十年で大きく変化してきたと思います。若いころ、養護学校(今の特別支援学校)の子どもたちを公共交通機関を利用して校外学習に連れて行ったときには、電車に乗った途端、その車両から人がいなくなることがありました。座席が空いて座れた子どもたちは喜んでいましたが、私の気持ちは複雑でした。しかし今はそんなことは少なくなっていると思います。
ただ障がいのある方々の社会参加が進めば進むほど、彼らの特性を悪用し経済的な、あるいは個人の欲望に従った目的を達しようとする人間が増えているようにも感じます。冒頭のマッチングアプリの事件はその典型例であり、ほかにも同様の事件の報告を聞くことがあります。
世間では「何かあればすぐに相談しなさい」、「怪しいと思ったら疑ってかかりなさい」と言いますが、障がいの有無や老若男女に関わらず詐欺電話やニセ広告、SNSに騙され被害を受ける方が減らない中で、自らに起きている出来事を「怪しい」と感じてすぐに相談したり遮断したりすることができる障がいのある方がどれほどいるでしょうか。
障がい者の社会参加が叫ばれ始めてかなりの時間が過ぎました。掛け声の通り、社会のハードルはどんどん低くなり、障がいがあっても当たり前に自分なりの人生を歩むことができる時代になりつつあります。と同時に自分自身へのリスクマネジメント、危機管理がとても必要になっています。まずは自分の身は自分で守る。本当はそんなことが必要のない社会であることが理想なのですが…。
そしてその術を学ぶのはどこなのか、学校なのか。本来はそうあるべきなのだろうと思います。しかし学校教育を取り巻く様々な課題(教員不足、教員の専門性の不足、多忙化、知的障害特別支援学校の児童生徒増など)を考えれば、その学校教育の一部を地域が担ったり、学校と地域で連携したりしながら解決していくべき可能性も追い続けなければなりません。
以前のブログでも触れたように、学校はある意味「良心的」な空間なので、あまりネガティブな内容な教育には消極的な場合があります。10年近く前の話ですが、ある知人が特別支援学校高等部で「社会のルールを守らないと警察に逮捕されることがある」テーマについて教材を工夫しながら授業展開したことがあります。私からのアドバイスで事前に管理職、同僚、保護者の了解を取り付け、他の教員も参観しながらの素晴らしい授業でしたが、残念ながらそれ1回きりで終わってしまいました。やはり公教育の場で取り上げるのには時代が早すぎたのかもしれません。
ならばその役割を放課後等デイサービスが担えばどうでしょう?続きはまた次回に。
以上