特別支援学校に勤めていたころ、教え子の父親と教員がざっくばらんに語らう「おやじの会」が立ち上がりました。放課後等デイサービスもまだなく、いまとは異なる時代であり、当時は母親が子育てのキーパーソンでしたが、父親にもぜひ福祉や教育に関心を持ってもらいたいと考え、学校関係者が働きかけ始まったものです。
ただ父親は日中、外で働いていることが多いため、集まりはもっぱら夜の飲食が中心となりました。「おやじの会」が活動し始めた数年後、教員と父親が集まり、お酒も入りながら盛り上がっていた会場で、教え子の父親が話しかけてきました。「先生、俺が人生で一番つらかったのはどんな時かわかるかい?」
そのお子さんには先天性の障がいがあり、小さいころから何度も手術を受けていました。「お子さんの障がいがわかったときですか?」「いや、ちがう」「では手術を受け入院していた時?」「それもちがう」。こんなやり取りが続いた後、父親はアルコールで顔を赤くし、こんな話を教えてくれました。
「養護学校(今の特別支援学校)の入学式に障害のあるわが子が参加した時、ふと『俺は何でこんなところにいるんだろう?』と考えたら涙が止まらなくなってね…。近所の子どもたちは小学校の入学式に晴れやかに参加し、両親は着飾って満面の笑顔で記念写真を撮っている。俺はこんな学校の小さな入学式に参加して、笑顔の写真なんかも撮れやしない。一体何でこんなことになったんだろう、って考えたら涙があふれてね…」。父親は酔った勢いもあり、号泣し始めました。
盛り上がっていた座敷が静まり返りました。どの父親にも思い当たる節があったようで、中には共感の涙にくれている方もいました。私は思いました。あの時と一緒だ、と。その数年前、同じく「おやじの会」の飲食の場での出来事でした。中学校までは地元に通っていたある教え子の父親からこんな話を聞きました。
「先生、私はこの学校の入学式の朝、子どもと一緒に死のうと思ったんだ…」。驚いてどういうことか聞いてみると彼はビールの入ったコップを片手に、しんみりと語り始めました。「養護学校の入学式の朝にね、いよいよこんな学校にお世話になることになったか、という気持ちで心がいっぱいになり、学生服姿で車の助手席に乗っている我が子を見て悲しくなったんだよ。川を渡っているとき、どうせ将来、なにもいいことがないのならいっそこの場で、と突然思い立ち、川岸に車を止め、子どもの手を引いてゆっくりと水に入って行った。その時はもう頭の中が真っ白だったんだ。すると突然子どもが叫んだ。『お父さん、水が冷たいよ』って。そこで我に返り、なんてことをしているんだろうと情けなくなり子どもを抱きしめたんだよ」。やはり場が静まり返り、少し前まで大騒ぎしていた父親たちがみなうつむいていました。
学校ではなんやかんやと母親たちとかかわることが多く、保護者面談でその苦労話を聞く機会は何度となくあったのですが、父親たちの本音(おそらくアルコールの影響もあったのでしょう!)を聞く機会があまりなかったので、私は圧倒されました。当たり前のことですが、お子さんの障がいに悩み苦しんでいたのは母親だけでなく父親も兄弟姉妹も、そして祖父母など家族も、みんな同じでした。いまからもう30年近くも昔の話です。当時はまだまだ社会の理解が追いつかず、国や市町村の施策も不十分でした。
しかし、この2つのエピソードには共通した結末があります。2人の父親は時代を超えて最後に同じ言葉でこう締めくくったのです。「でもね先生、今は子どもをこの学校に入れてとても良かったと思っている。大正解だったよ。先生たちにも会えて!」。周囲の父親たちもみな周囲の教員たちに振り向き「ありがとう!」といって握手を求めてくる方もいました。教員も泣きました。熱い時代でした…。
その数年後、母親たちと協働して「あかとんぼ」を立ち上げました。そしてそのまた数年後、「あかとんぼ」を巣立った子どもたちのため、父親たちと協働し小規模福祉作業所(今の就労継続支援B型事業所)「とんぼ舎」を作りました。この2つの施設はいまもエリアを拡大しながら運営され続けています。
親御さんたちのポテンシャル(潜在力)、可能性にはものすごいものがありました。社会で培った経験値を活かし、それまでの辛い過去をプラスに変え「我が子のために社会を変えたい!」、この願いが大きなうねりとなって今の放課後等デイサービスの盛隆につながったのかもしれません。特に父親たちの日ごろの本職である建設関係、営業関係、食品関係、あるいは専門資格が必要な職場などでの知識や人脈が生き、当時は社会になかったものを新しく作っていくパイオニアとなり、一丸となって突き進んでいくことができました。
もし障害があるお子さんをお持ちの保護者の方々にお読みただいているのならお伝えしたいことがあります。子どもたちのために、いまよりもっともっと豊かな未来を一緒に作りませんか?確かに30年前と比べ様々な法律、制度が作られ、その頃よりはいまの方が豊かな時代になっているでしょう。しかし前回の記事でも触れたように、福祉に携わろうとする方が減り、このままでは子どもたちが将来、十分なサポートを受けながら人生を有意義に過ごすことが難しくなってしまうかもしれません。私はとても大きな危機感を持っています。みなさんの持ち合わせているポテンシャルを活かし、私たちが「あかとんぼ」を作ったときのように、協力して難題に立ち向かっていきませんか?
特別支援学校や放課後デイを含め、様々な事象に関心をお持ちいただき、教育や福祉の課題をその関係者と協働しながら解決していこうとする、新しい大きなうねりがいま、とても必要になっていると感じています。レジラボでは保護者支援、家族支援だけでなく、共に協働して地域を変えていけるような仕掛けも進めていきたいと考えています。ぜひ一緒に、手を携えて社会を変えていきませんか?よろしくお願いします!
以上