メディアで「社会保障」という言葉をよく聞きます。日本の社会保障はとても充実していると思います。「社会保障って何?」という方がいるかもしれませんが、詳しくはネットで検索した方が早いかもしれません。私が説明するとしたら「この国であなた自身にどのようなことが起きようと、国が生活を保障してくれる支援の在り方」になるでしょう。
障がい、病気、事件や事故、災害、あるいは離婚しひとり親世帯になった、高齢になり心身の衰えが気になってきた、そのような高齢や障害がある方のご家族が介護を請け負っているなど、私たちが生きるこの社会には予想できたりできなかったりする様々なリスクがあります。高齢になることは誰もが通る道ですが、事件や事故にあうことはまれでしょうし予測不可能でしょう。
「何があってもこの国は生活を守ってくれる」。憲法にも書かれているとおり、このような制度があるからこそ、私たちは安心して、そして思う存分学び、働き、遊びながら生きていけます。それでも生き方が多様化するこの時代、すべての人々が望む支援を受けることは難しいかもしれません。そのような多様な支援を請け負うためにいまではNPO(非営利特定活動)法人などが活発に動き、各市町村や都道府県にある社会福祉協議会が「手の届く支援」を進めています。
時代が進むにつれ新しい生き方に応じた新しい支援の在り方が論じられます。あるいは複合的な課題への支援も多く必要とされ始めています。高齢の方の介護をしながら障がいがあるお子さんを単身で育てているお母さんが事故にあった、病気になった。こういうケースも珍しくはありません。そのたびに社会保障の在り方を見つめ直さなければなりません。
時代の変化に応じた社会保障が充実していないと感じた時、人は福祉先進国と呼ばれる北欧の国々の例を出します。医療、福祉、教育が充実し、それらを無償で受けることができる、と。そのうえで税金が非常に高いことも知られています。収入の半分が税金になる、その代わり社会保障は無償。北欧は素晴らしい国?
北欧で暮らした方に聞きました。素晴らしい国ですか?と。その人は答えました。「決してすべてが良いわけではない。私の国にも差別や偏見が当たり前のようにある」。確かに日本より優れているところは多いのだろうと思います。しかし文化や風土、風習、地域性や民族性が異なる国を日本と同等に評価することはできません。その国の良いところは十分参考にする必要はありますが「だからかの国の社会保障は素晴らしい」と手放しで称賛するのではなく、日本には日本の風土に適した社会保障を考えていかなければなりません。
しかし、充実しているはずのこの国の医療も教育も福祉も、年を追うごとに課題は大きくなり、新たな問題が次々と発生しています。人の寿命が延びていくのは喜ばしいことなのに物価が高騰する中、高齢者は年金だけでは暮らしづらくなっています。これまで身を粉にして働いてきた方々の老後が寂しい状況であることを見れば、現役世代の人々はどう思うでしょう。
また、2024年に新しく生を受けた命は、データを取り始めてから初めて70万人を割りました。しかし子どもの数が年々減っているとはいえ保育園や幼稚園、学校の「先生」は今後も相当な数を必要としているのですが、それに反して「先生」になりたいという若者は減り続け、教員採用選考試験の倍率がようやく1倍を上回る程度の自治体が増えています。
そして障がいがある人の総数は増え続けているのですが、「先生」同様、福祉で働こうという若者も減り続けています。社会保障を維持するために必要なお金、人手が不足している中、私たちは「何があっても社会保障が充実しているから大丈夫!」と思う存分働くことができるでしょうか。安心して子育てや介護ができるでしょうか?
少し難しい話になってしまいましたが、障がい児者福祉にかける予算は先進国の平均が年間予算の2%であるのに対し、日本はその半分、1%でしかありません。障がい児者に関わらず福祉関連予算を増やし、施設等で働く従事者の給与水準に補助を出しながら人材の確保や養成を進めていかなければなりません。
ただし政治が変化し国や自治体の考え方が改まる日を首を長くして待つことはできません。私たちが私たちにできることで現状の課題を解決していかないと。いまから50年以上も前になりますが、車いすで生活していた若者たちが、乗車を拒否する路線バスに対し道路に寝ころびながら改善を訴える実力行使に出たことがありました。
方法の是非は別にしても、このことがあってからこの国の障がい児者福祉が少しずつ変化してきたと考えています。まだまだ私たちにできることがあるのかもしれません。まずは一緒に学びませんか?次回はこの国の障がい児者に関する特徴的な歴史を少し追ってみたいと思います。ではまた!
以上