東日本大震災から10数年が経ちました。いまだに東北では思うように復興が進んでいない地域があります。また2024年元日に起きた能登半島地震を始め、様々な災害に合った地域で、人々が元通りの生活を取り戻すまでには長い時間がかかることを私たちは理解しています。そしてそこには当たり前ですが多様な人々が生活しています。

 乳幼児を含む子どもたち、高齢の方、外国人の方、病気の方など「災害弱者」と呼ばれる人々はどのような避難生活を送っているのでしょう。そして特に障がいのある方々は災害時にどのような影響を受けるのでしょう。東日本大震災以降は障がいがある方々の被害、避難生活についても注目されるようになりました。

 報道によれば宮城県で建設会社が清掃作業をしていた際、人骨のようなものを見つけ、警察がDNA鑑定をしたところ、震災時に岩手県の自宅で被災し行方不明となっていた6歳女児の遺骨であることが明らかになり、遺族に引き渡されました。震災後10数年を経て、小さな遺骨がようやく家族の元に戻ったニュースは私たちの胸を打ちました。

 さらに報道によると女児には自閉症があり、震災当日は障がいがあるお子さんの療育をしている教室の卒業式を終え、自宅にいたところを激しい地震の揺れが襲ったようです。発災直後、家族に手を引かれて避難しようとした女児の目に大きな波が移り、握っていた家族の手を振りほどき自宅に戻ったそうです。そこを津波が襲いました。

 ここからは私の推測です。おそらく彼女の恐怖はとてつもなく大きなものだったのでしょう。障がいの有無にかかわらず、私たちは巨大な真っ黒い津波を見れば誰だって恐れおののきます。何より女児はまだ6歳でひょっとしたら人より研ぎ澄まされた感覚を持ち、それがために通常より恐怖が何倍にも増幅してしまったのかもしれません。そのため何よりも自分を守ってくれるだろう自宅に戻ろうと思ったのかもしれません。

 発達障がいがある方であれば十分予測できる行動です。当事者の話を聞けば、障がい特性により幼少期には周囲で起きている物事をよく把握できず、また他者が何を考えているのかを理解することも難しく、周りの人間はみな恐ろしく見えた、起きている出来事も恐怖ばかりだったとのことでした。もちろんその感じ方は当事者により千差万別でしょうが、多かれ少なかれ発達障がいがあれば災害時には私たちの予想をはるかに超える恐怖に見舞われるのかもしれません。

 発災時、パニックになったり混乱したりしている彼らをどう安全に避難させればよいのでしょう。今回の6歳女児の小さな遺骨がみつかった一件は私たちにそんな気づきを与えてくれました。震災後、発達障がいを含む様々な障がいがある方々の避難生活については前向きな議論が続き、福祉避難所の設置や個別避難計画の策定などが現実化しています。ただ、発災の瞬間、何が起こったのかを理解できず、ただただ恐怖感しかない発達障がいがあるみなさんを冷静な避難行動に導けるかの議論は盛んではなかったように思います。いや、そこに気づいていなかったともいえるでしょう。

 発達障がいがある方々の日常は可能な限りわかりやすくし、過敏になりうるような環境は遠ざけ、できるだけ負の刺激の少ない生活を送る配慮が必要であるとされています。変化が苦手であり、何かを変える際には先の見通しを伝えながらゆっくり少しずつ変えていく必要があります。

 ところがいつどこでどんな形で発生するのか、災害を未然に予知し防ぐことは不可能です。これほどある日突然の急激な変化は障がいの有無にかかわらず誰をも混乱させます。そんな混乱を起こさないよう、学校では避難訓練を欠かしません。ある日突然の出来事にも冷静に対処できるよう、災害だけでなく不審者対応の訓練も行われています。

 避難訓練はもちろん効果的でありいざというときの被害を軽減してくれることは間違いありません。ただ実際の災害は予想をはるかに超えるものです。訓練だけで乗り越えられるものではありません。その瞬間の適切な判断力や臨機応変な行動力につながらなければ安全な避難行動がとれないことは十分予測できます。

 発達障がいのみならず知的障がいや精神障がい、ほか様々な障がいがある方々の発災時の避難行動をどうサポートするのか。ご家族や支援者には喫緊の課題だと思います。今後30年以内に南海トラフ地震が起きると言われる確率が高くなり、地球の異常気象はスーパー台風を生み、線状降水帯による大きな水害の発生も続いています。

 こんな課題を提起しているからと言って私に何か良いアイディアがあるわけではありません。そして同じ課題は様々な障がいがある方のみでなく災害弱者と言われる多様なみなさんに共通します。少なくとも間違いなく言えるのはすべての人々が多様な災害弱者に対し理解を深め、何かが起きた時には自分や大切な存在の身を守りながらも、周囲で混乱している人々に気持ちを向ける必要があるということです。

 あらゆる時間、あらゆる場所に多様な人々がいる時代であり、そのすべての命が尊重されなければなりません。そういう私もいざ被災した時に冷静でいられるかどうかは何とも言えないのですが、常にそう心がけていたいと思います。

以上