特別支援学校・教え子の思い出

 先日、ある福祉施設を訪問しました。施設名を聞いて思い出したのは30年近く前の教え子の姿でした。私が養護学校(今の特別支援学校)の職を得た初めの頃です。仮にAさんとしましょう。担任していたクラスのAさんは子だくさんの家庭に生まれた長子でした。家庭訪問をしたときには家族数の割に手狭な平屋の一軒家に肩寄せ合って兄弟姉妹が暮らしている姿に触れ、心が温かくなった記憶があります。Aさんには担任時代、こんな思い出がありました。

 ある日、Aさんのかばんにいつも入っているはずの親御さんからの連絡帳が見当たりません。次の日も、その次の日も。Aさんはいつもと変わらぬ様子で登校するのですが、何かおかしいな、と直感し、遅い時間にご家庭に電話を入れたところ、お父さんが対応されました。お父さんは疲れた感じでつぶやきました。「妻が家を出てしまいまして」。

 お父さんはすでにシニアの域に入っていらっしゃったのですが、お母さんはまだ若く、Aさんを10代で出産し、その後も多くのお子さんを授かり、その時には生まれたばかりのお子さんもいました。子育ての疲れがあったのかもしれません。お父さんの話では、ある日帰宅してみると置手紙もなく、朝食の片付けもされないままだったとのこと。

 Aさんの妹で当時小学生だったBさんに聞くと「お母さんは出て行ったまんま」と言い、お父さんは事態がようやく理解できたと話されていました。それから数日が経っていました。いつもお母さんが書いてくれた連絡帳は、私がその日の様子を記録してかばんに入れても、翌日にそのまま学校へまた戻ってきてしまっていたのです。

 数日後、お父さんの都合を聞き、家庭訪問をしました。お父さんは毎日仕事に行かなければ生活を支えることができないため、家庭の中のことはBさんに任せていました。散らかってはいましたが、それなりに整頓され、洗濯もし、スーパーのお惣菜で食事を調えながら、乳児の世話もしていたようです。もちろん知的障がいがあったAさんの身の回りのこともBさんがすべてしていたようでした。

 私はお父さんや学校管理職の了解を得て、Aさんが住む自治体の役所へ行き事情を説明しました。役所の職員はとても驚き、丁寧に迅速に対応してくれました。その結果、お父さんは子育てができる状況ではなかったため、たくさんいるお子さん全員が別々の児童養護施設や乳児院に入所することとなりました。Aさんは障がい児入所施設にお世話になることになりました。その施設は遠方にあり、学校も転校することになりました。

 Aさんのお別れ会を行うことになりました。その日はこのクラスだけ給食を止め、生徒全員がお弁当を持ってきて、校庭でクラスのお別れ会をやりながら会食する計画にしました。Aさんのお弁当は私が用意しようと考えていましたが、お父さんが「最後なのでこちらで用意しますから大丈夫です」とおっしゃっていただいたので、お言葉に甘えることにしました。

 クラス全員で校庭を駆け回りながら笑顔で遊び、やがて昼食の時間になりました。木陰に大きなブルーシートを敷き、みな思い思いに弁当を広げ食べ始めました。Aさんは一人でお弁当を開けることが難しいので、私が近くに座り、包みを解き、ふたを開けようとしたところ、ふたの上に小さな紙片を見つけました。

 罫線の入ったメモ帳のページを破ったような紙片が4つに折り畳まれていました。広げてみると小さな女の子の絵にきれいな色が塗られ、その横に数行の文字がありました。「先生、いままでAさんのお世話をしてくれてありがとう。さようなら」。そう、それはBさんから私に宛てた小さな小さな手紙でした。

 Aさんの家に家庭訪問した際、私をからかって笑ったり背中から無邪気に抱き着いたりするAさんの様子を見て「先生のことが大好きなんだな」と感じたのかもしれません。最後の学校の1日に、Bさんは朝早く起きて一生懸命お弁当を作り、大好きな先生とお別れするAさんの心情を思いながら小さな手紙を書いたのでしょう。

 私はAさんのお弁当のふたを開け、一生懸命そのお弁当を食べ始めた姿を見ながら、胸がいっぱいになり涙が止まらなくなりました。子どもたちが運命に翻弄され、それでも助け合いながら今まで精いっぱい生きてきて、障がいのあるAさんのためにお弁当を作り、その担任の先生に感謝の手紙を添えた子どもたち。これからの幸せを望む以外、私にはできることがもうありませんでした。

 数年後、Aさんが当時入所した障がい児施設から成人用の施設に移ったことを風のうわさに聞きました。いつか会いに行きたい、と心の片隅に思いつつ、それから30年近くの年月が経ってしまいました。今回、訪問した福祉施設はAさんが暮らしている施設と同系列であったため、思い切って対応していただいてた施設長さんにAさんの名前を出してみました。

 「知っていますよ!今でもとても元気に暮らしています!」。私はびっくりして途端に目頭が熱くなってしまいました。わざと「マ、マツウラー!」と呼び捨てにし「こらー!」と追いかけると笑って逃げて行ったAさんの姿が目に浮かび、施設長に思い出話をしました。すると施設長はさらに教えてくれました。

 「今でも私が会うと名前を呼び捨てにしながら『おまんえちでビール飲もうぜ!』とからかってくるんですよ」。その言葉を聞き、私はもう何も言えなくなっていましました。兄弟姉妹と離れ、お母さんとも別れ、お父さんも先日亡くなられたと聞いた中で、その過酷な運命の中でも「心はいまも当時の純粋なままなんだ」と気づき、Aさんを心からリスペクトしました。人間ってすごい!私も彼のバイタリティを見習いたい、と。

 私が特別支援教育や障がい児者福祉に長く関わろうと決めたきっかけともいえるAさん、Bさんとの出会い。いまある私の原点の人々かもしれません。

以上