前回、カーラジオから流れてきた学習障害がある大学生の投票上の困難さについて触れましたが、今回はその続きです。ラジオで話していたのはご自身に視覚障がいがある方でした。白杖(「はくじょう」と読みます・視覚障がいの方が歩行時に使用する杖です)を手に街中を歩いていると様々な方が声をかけてくれる。そして多くの人が「お手伝いしましょうか?」と聞いてくれるので臨機応変にお願いしたりしなかったりしている、と。
そして次のようなエピソードを紹介していました。「視覚障がいがあるご夫妻がいた。1度行ってみたかったお酒の飲めるお店に出かけ、あるカクテルを注文した。そのカクテルは背の高いグラスに入ってくることを知っていて、楽しみに待っていた。ところが運ばれてきたものは背の低いロックグラスだった。バーテンダーが『高いグラスだと危ないと思いこちらにしました』と説明してくれた。とても残念な配慮だった」。
サポートが必要な子どもを見つけたら、まず「先生が手伝えることはないか?」と聞くことが大事。自分の主観を勝手に押し付けず、必ず子どもと話し合いながら解決策を一緒に考えること。教職を目指す学生にはこう教えています。それは街中に出ても、アルバイト先でも、自身の家族や近所の方であっても同じようにしなさい、それがマナーである、と。
「障がいがあるから困っているだろう」「手伝ってあげよう」「こういう障害だからこうすればいい」。それは偏見です。障がいの有無にかかわらず私たちは一人一人みな違っていて、困っていることや悩んでいることもみな違います。もちろん障がいがある方も一人一人の状況は異なり、例えば知的障がいがある方でもその困り感や悩みは別々です。知的障がいがある子どもはこれに困っているからこうしてあげよう、と考えるのは押しつけ以外の何物でもありません。
バーテンダーの話ですが、おそらくとても親切な方で、サービスとしてご本人たちの思いの先回りをして配慮を考えたのだろうと思います。そこに少しでも「ご本人に確認する」ひと手間があればさらに素敵なお店になるのだろうと思います。そのような気持ちのあるお店だからこそ、今後にはもっと大きな期待が持てます
授業で学生に合理的配慮を教えています。専門用語なのでなじみが薄いかもしれませんが、ぜひ覚えておいて頂ければと思います。政府広報では合理的配慮を「障害のある人から『社会的なバリアを取り除いてほしい』という意思が示された場合には、その実施に伴う負担が過重でない範囲で、バリアを取り除くために必要かつ合理的な対応をすることと説明しています。
レストランを利用する視覚障がいのある方のために点字のメニューを用意する、車いすユーザーの方のために通路を広くする、聴覚障がいの方のために店員とタブレットでやり取りできるようにするなど。障がいのある方が障害のない方と同じように社会参加できるように周囲が配慮していくことをいいます。そしてそれはいま、行政・民間問わずすべての事業者が行わなければならないことが障害者差別解消法に規定されています。
合理的配慮について学生に解説をした後、いくつか例題を出します。「車いすユーザーで手足に障がいがある方が介助者とともに相談センターへやってきた。職員は配慮しようと思い、介助者には熱いお茶を出したが当事者には冷たいお茶を出した。これは合理的配慮か?」しばらく周囲に論じさせ、自分の考えを決め、その後「合理的配慮である」「合理的配慮でない」のいずれかに挙手をさせます。圧倒的に「合理的配慮である」に手を挙げる学生の数の方が多くなります。
それが間違いであることを指摘するとみな一様に驚きます。しかし、私の説明を聞くと納得します。「熱いお茶にしますか?冷たいお茶にしますか?」この一言がなく、本人の意思を確認しないまま勝手に自らの判断で冷たいお茶を提供することは決して合理的配慮とは言えない。それは配慮の押しつけである。本人の意思の確認を怠ってはならない。
ただ一言、ご本人が「どうしたいか」を聞けばいいのです。そんな難しい話ではありません。それがないのは、多くの人が「~障害イコールこういう状態」という固定観念に縛られてしまっているからです。前回、学習障がいの大学生が代理投票の制度を使いづらい話をしましたが、外見から文字が苦手そうには見えない若者を見た投票所係員が「こういう人が文字を書けないわけがない」と決めつけてしまっているから起こり得る現象でした。みなさんはそんな経験はありませんか?
これは合理的配慮に関わらず社会ではよくあることですよね?固定観念を持つ人はたくさんいます。「あの家は単親世帯だから」「あの人は~人だから」「あの人は高卒だから」。こんな言葉が多く聞かれます。誤った情報から固定観念で判断するのでなく、一人一人の声に耳を傾け、その生き方をしっかり見守ることが重要です。
実際に経験した話です。ある料理店で天ぷらそばを頼んだところ、月見そばが出てきました。店員に「これは私の注文したものとは違う」と伝えたところ「天ぷらが売り切れたのでこちらにしました」と店員が答えました。その店員は配慮をしてくれたのだと思います。天ぷらがなくなったからこっちにしてあげよう、と。その気持ちはありがたいかもしれませんが、自分が何を食べるかは自分で決めたいものです…。
以上