運転中、ラジオに耳を傾けているとこんな話が聞こえてきました。「読み書きの苦手な方が選挙で投票用紙に候補者の名前を書くことが難しい。日本には代理投票という制度があって、候補者の名前を代わりに投票用紙に書いてもらえる制度がある。しかし、ディスレクシア(読み書き障がい)や学習障がい(限局性学習症)がある大学生が事情を話して投票所で代理投票を求めても、ディスレクシアや学習障がい自体への理解が不足している係員がいるとなかなか分かってもらえないことがある」。

 学習障がいを文部科学省では次の様に説明しています。「全般的に知的発達に遅れはないが、聞く・話す・読む・書く・計算する・推論するといった学習に必要な基礎的な能力のうち、一つないし複数の特定の能力についてなかなか習得できなかったり、うまく発揮することができなかったりすることによって、学習上、様々な困難に直面している状態をいいます」。

 知的な能力の発達に遅れなどはないのですが、読んだり書いたりするなどの6つの能力が1つでも年齢相応ではない状態を学習障がいと呼んでいます。最近では限局性学習症ということが多くなっています。小学校4年生(10歳)のお子さんが、聞いたり話したりする力は小学4年生並みであっても、小学校1年生で学ぶ漢字が書けない、平仮名を間違えてしまう、国語の教科書を4年生並みに読むことが難しいなどの症状があるとしたら学習障がいの可能性を考えた方が良いかもしれません。

 学習障がいの診断を受けていたりそうかもしれなかったりする人は日本では人口の7~8%存在すると言われています。いまは小学校の1クラスは35人定員となっていますから、そのうちの2~3人にはその症状があるかもしれません。しかし、最近は発達障がい(神経発達症)が注目され、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)については以前よりも認知度が高まっているように思います。

 理由は簡単です。ASDやADHDがあるお子さんや成人は、特別支援教育や適切な療育を受けていないと行動面での課題が表面化する傾向があり、学校や事業所などで集団になじまない行為をしてしまうことがあります。授業中に立ち歩いてしまう、忘れ物が多くなってしまう、衝動的に怒鳴ってしまう、自己中心的に見える行動をしてしまうなど。周囲は何とかしようと対応策を考え、行動面での課題を軽減しようと努力します。そのため、ASDやADHDへの注目度が高まり、理解も深まります。

 しかし、学習障がいに関してよくあるのは、読み書きが困難だとしても行動面での課題が少ないために周囲があまり注目せず、むしろ周囲は本人の苦手を「努力不足」「勉強不足」であると叱責し終わってしまうことが多いようです。以前、小学生のお子さんが読み書きが苦手なために相談に見えたお母さんがいましたが、それを本人の努力不足である決めつけ夜遅くまで何百字も漢字の書き取り練習をさせていたそうです。いまはこれを「教育虐待」と呼び、場合によっては罪に問われることもあります。

 そのお母さんはあまりにも学年相応の文字が書けないことにさすがに疑問を感じ、私のところへ来談したのですが、学習障害の可能性があることを指摘し病院を紹介したところ、医師からその診断名が付きました。お母さんは「かわいそうなことをした。もっと早くにわかっていれば」と涙しましたが、お子さん自身は「自分の努力不足のせいではなかった。ホッとした」と笑顔になり、その後は特別支援教育を受けすくすくと成長していきました。

 このように学習障がいは保護者であっても教員であってもその可能性を見抜くことが難しく、また行動面での課題がないために見落とされたまま成長していくことが多いようです。苦手なジャンル以外には一定の能力を示すことがあるので、世間は「こんな素晴らしい力があるのに文字が書けないなどありえない。ふざけているのか?」と受け取っていまいます。

 冒頭の選挙の話ですが、投票所の係員からすると会話もしっかりしている大学生のどこが「障がい」なのか、といぶかしく思い、何か裏があるのではと勘繰ってしまうのかもしれません。この例に代表されるように発達障がい、知的障がい、精神障がいなど「目に見えづらい障がい」がある方が周囲に理解されにくいことが良くあります。障がいがある方が持ち歩くと周囲が理解してくれやすいヘルプマーク・ヘルプカードというグッズもありますが、残念ながらこれらの方を狙った詐欺や犯罪も増えてきているため、活用されにくくなっています。

 解決方法はあるのでしょうか?教職を目指す学生にはこう教えています。「障がいがあるからサポートをするのではなく、困っている子どもがいたらサポートする。見て見ぬふりをしない」。障がいに限らず昨今は貧困、虐待、ヤングケアラーなど多様な背景を持つ子どもたちがいて、さらに不登校や日本語がわかりづらい海外から来たお子さんもいます。その子どもがいま何に困っているのか、それを解決するためにはどうしたらよいのか、大切なのはそこでしょう。

 困っている人がいれば手を差しのべる社会になれば、投票所で困る学生もなくなり、夜遅くまで漢字の書き取りをさせられる子どもも減るでしょう。でも…。投票って候補者の名前を「書く」以外の方法にならないんですかね?自治体ごとの選挙では候補者の名前に〇をつける投票方法もあるようですが国政ではダメなようです。まずそこから考え直した方が良いかもしれませんね。

以上