こんにちは。前回は特別支援教育のあるあるについて紹介しました。今回も自ら経験したことからお話をしたいと思います。
障がいがあるお子さんへの教育や療育で重視される一つに「挨拶(あいさつ)」があります。挨拶は大事ですね。それだけで人間関係がスムーズになり、社会生活にはとても役立ちます。私が勤めていた何校かの特別支援学校でも朝は子どもたちと「おはようございます」、帰りは「さようなら」の挨拶を欠かしませんでした。
特別支援学校の高等部(障がいのある高校生が在籍しています)では産業現場等における実習(「現場実習」と言います)を行うことがあります。卒業後の社会参加を目指し、学校から数日または数週間離れ事業所や就労支援施設に通い、仕事や生活の練習をします。うまくマッチングできると、卒後にそのまま同じ場所にお世話になることもあります。
ある時、現場実習で生徒を見ていただいてきた企業の社長さんから次のような話を聞きました。「お宅の学校の生徒は挨拶をしない」。そんなことはありません。その生徒はいつも学校で元気よく挨拶をしていました。「どういうことですか?詳しく教えてください」。戸惑う私に社長は詳しく説明してくれました。「社長の私に挨拶をしないんだよ。ほかの社員とは挨拶をするのに」。
どういうことでしょう?社長は続けました。「見ているとね、挨拶をした社員には元気に挨拶を返すんだ。でも、社長の私には自主的に挨拶しないんだよ。これっておかしいよね?」。それですべてが理解できました。学校では先生から子どもたちの目を見て「おはよう」というと元気に挨拶を返してくれます。あるいは登校してきた子どもたちの前に行き、膝を追って目線を合わせるとしばらくして思い出したように「おはよう」と挨拶してくれます。それに対して先生は「おはよう」と笑顔で返します。
つまり子どもたちは先生からの何らかのアプローチがないと自分から挨拶をしなかったりできなかったりします。会社で社員のみなさんから「おはよう」と言われればもちろん返すのですが、一般的に社長さんともなれば社員から挨拶され返すことが多いですよね。例外もあって社長自ら挨拶してくれるところもありますが、今回の話に出てくる社長は挨拶を待つタイプでした。
その後、校内で「子どもから挨拶するようになるにはどうしたらよいのか?」と議論しました。登校した子どもたちに向けた看板「元気に挨拶しよう!」で教えたり、靴箱のそばで朝、何度かロールプレイング(何度も繰り返して同じ場面を演じて教える)したりし、多くの子どもは自分で挨拶してくるようになりました。
しかし、知的障がいのあるお子さんの日常生活や社会生活を一般化するには、学校で学んだことを地域や家庭で繰り返し学ぶ必要があります。学校だよりなどで関係するみなさんに協力を呼び掛け、いろいろな時間、場所、対する人に応じた挨拶ができるようチームとなって挨拶運動を繰り広げました。その後、私に疑問を投げかけた社長からは「お宅の生徒が自分から挨拶するようになった」と報告があり、私も安堵しました。
さて、ここまでの話を「良い話だなあ」と読んでいただいた方には申し訳ないのですが、学校現場を離れた今の私には「本当に挨拶はそんなに重要なのだろうか?」という疑問があります。いえいえ、もちろん冒頭に述べたように挨拶は人間関係をスムーズにする潤滑油のような役割があるのは確かです。
ここでお話ししたいのは人間にはその人に応じた様々な表現方法がある、ということです。もちろん言葉で「おはよう」と言えるならそれで問題ないでしょう。しかし言葉が出ない方も多くいます。手話で「おはよう」ができるならそれでも構いませんが相手が受け止めてくれるかどうかわかりません(手話はもう小学校の教育に取り入れてもよいような気がします…)。
「おはよう」の気持ちはあるけれどそれを言葉や身体で表現しづらい方はどうしたらよいでしょう。「あの人は挨拶をしない」とレッテルを張られてしまうと人間関係が取れなくなることもあります。でもその人はひょっとしたら絵を描かせれば「挨拶」を表現できるかもしれないし、歌やラップなら「おはよう」が言えるかもしれません。以前にも伝えましたが、人は自分に応じた様々な表現方法で気持ちを伝えられればそれでよいのではないでしょうか?そしてその選択肢は多岐にわたります。
「挨拶をしよう」というテーマに対し、言葉で「おはよう」「さようなら」「ありがとう」が言えることのみを想像してしまうと、それに当てはまらないと「挨拶ができない人」になってしまいます。社会全体がその認識を持たなければ、学校や放課後デイだけで自分に適した表現で良いよ、と教えても受け入れられなくなってしまいます。自分の表現方法を選択できる社会にし、言葉や行動がなくても人とかかわりたい、社会参加したいと考える方を受け入れていくようになればいいですね。
もちろん不適切な人との「かかわり方」は修正していかなければなりません。暴言を吐いたり人をたたいたりすることがあいさつ代わりになってしまう子どももいますが、学校や放課後デイの専門性をもって修正していくことが重要です。子どもたちの未来を考え教え育むと同時に、社会の変化も促せるような教育、福祉の場が理想かと思います。
以上