こんにちは。前回に引き続き放課後等デイサービスの役割について。
大学の授業で取り上げる教材のひとつに、過去の古い調査調査結果があります。ある大学教授が知的障がいの子どもが通う養護学校(いまの特別支援学校)高等部の生徒集団に「この人たちはどんな仕事をしているか知っているか?」と質問しました。弁護士、検事、裁判官に関しては正解者はゼロか少数、警察官についてはほとんどが「知っている」と答えたのですが、その仕事内容などを聞くと「悪いことをした人を捕まえる仕事」「お巡りさんは正義の味方」「絶対に間違ったことはしない」などの回答があったそうです。
学校教員の不祥事が連日のように報道されることはとても残念ですが、同じように警察官の不祥事についても少なからず発生しているようです。本来はどちらもゼロにならないといけないのですが、私たちは教師でも警察官でも間違いを犯すことがある、と理解しています。しかし先の調査結果から考えれば「警察官は絶対に正しい」と信じている彼らがもし誤認逮捕されたとき「警察に捕まったのだから自分が何か間違ったことをしたのだろう」と考えてしまうことを想像できませんか?
数年前、滋賀県で知的障がいのある女性が誤認逮捕され、裁判でも有罪となり、懲役刑を受けました。その後に再審請求し、最終的には無罪判決を勝ち取りました。無罪判決が出るまでの過程で明らかになったのは、警察官の巧妙な取り調べの中で彼女の特性であった被誘導性(相手の言葉に誘導されやすい特性)を悪用され、やってもいないことを自白させた、と裁判長が厳しく指摘しています。同様の例は過去にいくつもあるようです。
特別支援学校の教員をしていたころ、子どもたちにとっては体が大きく強面に見えたのでしょう、そんな私が近寄って行くと何もしていない子どもたちが「ごめんなさい」「もうしません」と繰り返すことがありました。そのたびに「何もしていないのなら謝らなくていいんだよ」と教えましたが、どこかできっと過去の体験から学んだのでしょう。とりあえず謝っておけば大丈夫、と。彼らの生きる術のひとつなのでしょうが、私は悲しく思いました。怒られないためにはまずは謝っておこう、と。
また発達障がいがある方々には「字義通り性」という特性を持たれている場合があり、相手の話や書いてあることをすべて真実と理解してしまう傾向のある人がいます。そのような女性が「何もしないから」と誘われ加害者の部屋に行き、暴行を受け、加害者から「人に言うと大変なことになるよ」と脅され、それも信じてしまい誰にも打ち明けられず泣き寝入りしてしまうケースがあります。
みなさんは電車やバスに乗る際に交通系ICカードを利用することが多くなったと思います。もはや切符を買って電車に乗る時代ではなくなってきているのですが、数年前まで特別支援教育の授業の一環で電車やバスに乗る練習をする際、それでも現金で切符を買って乗る学習が行われていました。いまはそんなことをしている学校は少なくなったと信じていますが、交通系ICカードの使い方を知らないまま社会に出ることはこの時代、少なくとも都心部ではちょっと考えられません。
同じくクレジットカードやキャッシュカードの使い方を今の特別支援学校ではどの程度子どもたちに教えているでしょうか。また知的障がいのあるお子さんはネットショッピングの正しい利用の仕方をどこで学べばよいでしょう。保護者の方の中には「教えない方が良い」と考える方もいますが、彼らがいずれ社会に出た時、あるいは親亡き後に、社会で当たり前に使われている決済方法に触れる機会は必ず来るのではないでしょうか?その時に初めて便利さを知り、クレジット機能を使ってどんどん商品を購入し、支払いできずやがて督促される、という可能性は考えられませんか?
あるいは知的障がいのある方がパスワードを自己管理する方法を学ぶ機会があるでしょうか。そして生活に困ったときに相談機関へ「相談する方法」を知っているでしょうか。いまの世の中、どんどん便利になる半面、様々な機能が複雑化しています。金融機関の様々な取引がインターネットを使えば家庭にいてもできるようになりましたが、それと引き換えに銀行や郵便局の有人窓口は減り続けています。障がいのある方だけでなく高齢者などにも不便な世の中になっているような気がします。そしてそこに付け込んだ社会的弱者への犯罪が増え、ネット上での誤解や偏見も増しているように思います。買い物などのポイント制度が使いこなせないと経済的な不利益を被ることにもなるでしょう。
自分の身に何か困ったことが起きたらすぐに関係機関に相談する(例:心当たりがあろうとなかろうと警察官に話を聞かれる時には必ず「弁護士を呼んでください」と伝えるなど)、社会で当たり前に活用されている便利なものは積極的にその使い方を教わる、複雑化されたシステムについてはそれをわかりやすく教え学べる場所がある。そんな真の意味でのユニバーサルな社会が必要です。
学校でできないことは放課後等デイサービスで。社会生活に活かせる術は社会生活、地域生活の中でこそ育めると思います。そしてそれこそが放課後等デイサービスの役割だと考えています。みなさん、まずは社会を広く見まわし、様々な特性のある方が本当にその社会の進展からすべて恩恵を受けているのかもう1度立ち止まって考え、ユニバーサルデザイン化やバリアフリー化を進めると同時に、真の意味での「生きる力」を伝え教えるにはどうしたらよいか、一緒に考えていきませんか?
以上